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二日市の歴史

二日市という地名の由来~

大勢の売り手と買い手が一所に集まって取引をしたことから市が始まり、その市を毎月、二のつく日に行うことから『二日市』と呼ばれるようになりました。
これが二日市の名前の由来です。
定期市(二日市、四日市、五日市など)の多くは、鎌倉時代に始まりました。
『二日市』の名前が最も古い記録に登場するのは、1479年(文明11年)ですが、それ以前から市は行われていたようです。
7世紀後半に大宰府が設置されました。
大宰府は、奈良・平安時代を通して京以外では最大の役所として九州を治めました。
平城京の都にならって、大宰府政庁を中心にした条坊制(東西24坊、南北22条)を取り入れた都市計画がなされました。
大宰府政庁から南に中心となる朱雀大路(すざくおおじ)がのび、これを境に左郭(東)と右郭(西)とに分かれます。
平城京と平安京には、左京、右京南部の川のほとりに東西の市がありました。
二日市は朱雀大路推定線の東、左郭の南部にあり、鷺田川のほとりにあります。
大宰府と二日市の位置関係は、京の東西の市の位置関係とよく似ているので、二日市は大宰府政庁の市町(いちまち)であったといえます。

なつかしの町並み

1935年(昭和10年)ごろ 二日市中央通り
二日市栄町交差点から見た中央通り商店街。先方に見える山は四王寺山。
右端の石柱は御笠銀行(現在の福岡銀行二日市支店)。
外車の左側にゴミ収集の馬車が見えます。
2009年(平成21年)現在 二日市中央通り
   
1926年(昭和元年)ごろ 二日市天神町付近
この道路は昭和7年から国道3号線となりました。
現在は県道112号線です。
  1934年(昭和9年)ごろ 二日市中央通り
右手に白金屋本店の看板がみえます。
白金屋から右へ入ると二日市八幡宮で、中央通りの突き当りは鹿児島本線です。
  1934年(昭和9年)ごろ 二日市中央通り
二日市大賀酒造場。中央通り北側S字カーブです。
   
1955年(昭和30年)ごろ 二日市中央通り
上空から見た二日市中央通り北側付近の町並み。
  昭和30年代ごろ 二日市中央通り
正面に見える山は四王寺山です。
  昭和40年代ごろ 二日市中央通り
中央通りのネオンアーチ。

交通の発達

1965年(昭和40年)ごろ 現JR二日市駅
改築前の国鉄(JR)二日市駅。
2009年(平成21年)現在 JR二日市駅
1955年(昭和30年)ごろ 西鉄二日市駅
西鉄大牟田線は、1924年(大正13年)4月に福岡~久留米間が開通しました。
二日市駅の開設も同年で、1970年(昭和45年)に建てかえられました。
2009年(平成21年)現在 西鉄二日市駅
   
1935年(昭和10年)ごろ 朝倉軌道の客車
1908年12月から二日市~甘木間に軽便鉄道を走らせた朝倉軌道が開通しました。
  1935年(昭和10年)ごろ 外車
当時は国産車は少なく外国製の車がほとんどでした。
  1943年(昭和18年)ごろ 乗合馬車
現JR二日市駅から乗合馬車が運行していました。
昭和21~22年ごろまでありました。
   
昭和20年代ごろ オート三輪車
四輪自動車が普及する以前、オートバイを改造したオート三輪車が就航していました。
  1951年(昭和26年)ごろ 西鉄バス
二日市では1913年12月に初めて太宰府天満宮までの路線バスが走りました。
路線網が拡大していったのは昭和30年代です。
  1952年(昭和27年)ごろ 輪タク
戦前の人力車が戦後には「輪タク(三輪タクシー)」となり流行しました。